ブータン旅行は英語でOK!ブータンの教育事情から読み解く、ブータン英語の実態とは。
はじめに
海外旅行で気になるポイントの一つが、その国で英語が使えるかどうか。
英語はちょっとハードル高い...という方は、旅の会話集で指差しコミュニケーションを
行って旅行に行かれる方もいるのではないでしょうか。
しかし中には、ご自身の英語を使って世界中を旅する方も沢山いらっしゃるはず。
そういった場合、現地でどれだけの英語が通じるのか気になりますよね。
ここでは、ヒマラヤの麓にたたずむ小さな国・ブータンで人々がどれだけ英語をしゃべるのか、また、この国の背景に潜む英語事情を徹底解説いたします。
そんな力いっぱいなブータンの一人旅事情についてこれから詳しく見て行きましょう。
目次
1.ブータンの英語事情
1-1 ブータン旅行で英語はどれだけ通じるのか
ブータンに旅行するといっても、実際にどのように飛行機やホテルを手配して、現地での移動や観光などはどのようにすればいいのだろう...と不安に思う方も多いのではないのでしょうか。
そこで、一人旅について解説していく前にブータン旅行の仕組みに関しておさらいしてみましょう。
皆様は、ブータンにどのようなイメージをお持ちでしょうか。
幸せの国として有名なブータンですが、小さな村や集落の集まりの中で、人々がわきあいあいと暮らしているようないめーじをもたれている肩も多いのではないでしょうか。
その場合、日常会話はすべて現地の言葉、英語なんて通じないのではないだろうか...と不安になる方も中にはいらっしゃるかもしれません。
しかし、実はブータンはとても国際色豊かな国で、小さな子供から大人までみんな不自由なく英語を話すことが出来ます。
もちろん、ブータンの東部など、まだまだ発展していないような場所では、英語に親しみのない現地の方々も多くいらっしゃいますが、基本的にご旅行の際に訪れるような西部から中部に掛けての地域に暮らす方々は、英語が堪能で、旅行客が英語で過ごす分には全く問題ございません。
英語を使えるとはいっても、実際に話すとなるとやっぱり不安...。
ご旅行の際には、現地の方々とは基本的にはガイドが現地の言葉で会話するので、常に自分から話さなくては成らないというわけではありません。
ここでは、実際の旅行の際にどんな場面で英語が必要になるのか、場面ごとに解説いたします。※英語ガイドの場合
お二人以上のグループの場合、基本的にガイドと食事をすることは少ないかと思いますが、ご旅行中にガイドと席を同じくして食事をすることもあるかと思います。
その際は、ガイドとの会話はもちろん、自分の食べたいものなど、軽くコミュニケーションの取れる英語力が必要になってきます。
ただし、肩肘を張る必要はございません。ガイドはあくまでガイド、お客様のことを第一に考えているので、もし会話に詰まっても、笑顔で対応してくれます♪
ホテルにてチェックインの際は、基本的にガイドが行ってくれるのでお客様が英語で対応することはございませんが、たとえば朝食の際や、ルームサービスを注文する際は、ガイドがそばにいないのでホテルのスタッフに希望の内容を伝えられるよう準備しておきましょう!
●観光地にてブータンの観光地の主な行き先は、お寺や仏塔など仏教にかかわる場所が多く存在します。
折角ブータンを訪れたのだから、それぞれが一体どんな場所なのか、どんな意味があるのか知りたいところですが、仏教系の単語はなかなか日常では耳にしないものも多くあり、普段英語をしゃべられる方も、寺院などの観光の際は聞きにくい場面も出てきます。
不安な場合は、事前に日本語ガイドをお手配しておくか、事前に予習をしておきましょう!
日本のお役所というと、日本対応窓口の方の高齢化も進み、なかなか英語では対応が出来ない、というような状況をイメージされる方も中にはいらっしゃるかと思いますが、ブータンの場合ですとその状況は全く逆になり、母国語のゾンカ後ではなく、英語が主要の言語となります。
もし万が一の事態に陥り、ガイドではなくご自身で何かお役所などの機関に行かなくてはならない場合でも、英語が通じますのでご安心ください。
1-2 ブータン人はなぜ英語をしゃべれるのか
ブータンといえば、小さな国でその独自の文化を保持している国というイメージがありますが、なぜブータンの人々はこれほどまでに英語を話すことが出来るのでしょうか。
ここからは、ブータンでの英語教育の実態に迫ることで、ブータン人の英語能力の根源を解説していきます。
ブータンは何故英語教育を開始したのでしょうか。
それは、当時のブータンには自国の教師数が少なく、インドなどの近隣諸国の外国人教師に依存していた教育事情が背景にあります。
さらに、ゾンカ語が文語として普及し始めたのは1980年代。国語であるゾンカ語で授業をすることが難しかったことも英語で教育を行った理由の一つであったといえます。
ブータンの公立学校はすべて無料になっているのですが、最近ではより高度な教育を求めて、私立の学校に子供を通わせる親も中には少なくありません。(※私立学校の学費は平均月収の2倍ほどもするような高級なものです。)
また、ブータンで行われる授業は、国語や道徳に関するもの以外はすべて英語を用いて行われ、教科書もすべて英語で記載されているので、街を歩く小学生達に突然英語で話しかけたとしても、日本では考えられないように、スラスラと英語で答えが返ってきます。
観光産業の発展など、国際社会・経済の流れに徐々に取り込まれていく中で、ブータン人の生活も思考も変化を迎えました。
世界で一番テレビの導入が遅かった国としても有名なブータンですが、そんなブータンでも2005年のインターネット解禁以降、今現在では街中のいたるところで、スマホを扱う人々を目にします。インターネット上でさまざまな情報を目にし耳にし、人々は今まで以上に国際社会の中で活躍していくようになります。
そんな中で必要になるのが、英語力だけでなく海外での経験です。
実際に最近の若者達は、ブータン国内にずっととどまって生活をするような人はごくわずかになっています。
インドやバンコク、シンガポール、アメリカなど、1年間もしくはそれ以上かけて留学を行う学生も現在は多くなってきています。
2.ブータンの抱える言語問題
2-1 公用語ゾンカ語と英語
元来、ブータンの公用語は、ゾンカ語(Dzongkhaと綴り、Khaとは本来「~語」という意味なので、正しくはゾンカだが、通例としてゾンカ語として言及されることが多いので、ここでもゾンカ語と呼びます)<ですが、国際化・近代化が進む中で、英語の影響が随所に見られています。
たとえば、ブータン国内で最大のシェア率を誇る新聞『クエンセル』はゾンカ語版だけでなく、英語版も発行されており、ブータン人の中にはゾンカ語ではなく英語版で呼んでる人も少なくはありません。
このほかにも、外国文化が流入することで、若者の間では、洋楽やKPOPなどポップカルチャーが流行しており、ゾンカ語に対するなじみは徐々に薄れているように思われます。
しかしこの状況は、何も最近の若者に限った話ではなく、大人の間でも深刻な問題となっています。
たとえば、現地のガイドにこの前話をした際に、最近では自分が書くゾンカ語の文法やスペルだ正しいかどうか分からないというのです。
これはゾンカ語がもともと仲居であるということも理由の一つになってはいますが、大きな理由がやはりこうしたグローバル化に伴うゾンカ語離れによるものではないでしょうか。
こうした背景から、現在では、一般の人々に代わって会社の文書など、正しいゾンカ語で記入するような専門の職業まで誕生しています。
※ゾンカ語を話したり読んだりする分には問題無い様ですが、いざ書くとなると分からなくなってしまうようです
2-2 公用語ゾンカ語と英語
国際化の波を受けているブータンとその母国語「ゾンカ語」ですが、果たしてこの状況は良いものなのか、由々しき事態なのでしょうか。
この問題に関しては、唯一の答えはありません。実際にブータン国内では、ゾンカ語を話しているにもかかわらず、ところどころに英語を混ぜてしゃべってしまうような人が多く存在していることを由々しく思っている人はいます。
このような状態を近年では'Dzonglish(ゾングリッシュ)'と呼んでいます。ゾングリッシュとは、その名の通りDzongkha(ゾンカ)+English(イングリッシュ)が合体した言葉。
ゾンカ語で話をする際、理解しやすいように英語を交えて話す人が増えてしまい、国語であるゾンカ語が若年層に定着しにくくなってしまっているようです。
言語、母国語というのは、コミュニケーションツールであるだけでなく、その国の国民性をあらわすものであり、母国語があいまい化もしくは希薄化してしまうことは、その国の文化自体が薄れていってしまっていることを意味します。
ではゾンカ語のみを母国語として設定して、文化の保護を図ればいいのではないかと思われるかもしれませんが、事態はそれほど単純なものでもございません。
自然科学や技術、特に最近おテクノロジーの分野における言語というのは、ゾンカ語に訳せる単語が存在せず、英語に依存せざるをえません。
なので、自国の文化の重要性を認識しつつも、英語の重要性もまた高いので、どちらかに偏ることが出来ないのです。
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3.おわりに
いかがでしたでしょうか。
ブータンでの英語事情について少しでも興味を持っていただければ幸いです。
実際のご旅行に関しては、英語で全く問題ありませんし、英語が苦手という方は、経験豊富な日本語ガイドもいますのでご安心ください。
ブータン人が英語を話せることを、なんとなく凄い、と思われる方もいらっしゃるかとは思いますが、その背景には実はこうした問題もはらんでいるのです。
英語を学ぶ姿勢は見習いつつ、我々日本人としての誇りや文化も同時に大事にしていきたいですね。