富良野によったら絶対行きたいファーム富田の魅力!
なだらかな曲線を描く丘陵。帯状に植えられた色とりどりの花々は、ラベンダーの紫を中心に赤、黄など絵の具を塗ったように鮮やか。そして背景は森の緑と青い空。ここは北海道の富良野。
日本全国、花が見所の観光スポットは数あれど、富良野のラベンダー畑は、夏場の花名所を代表するスポットのひとつといっていいでしょう。そして、富良野のラベンダー畑といえば必ずといってよいほど名前が挙がるのが「ファーム富田」。
その魅力をご紹介してまいりましょう。
富良野とラベンダー
どうして富良野はラベンダーで有名になったのだろう?と思ったことはありませんか。はじめに、富良野とラベンダーとの関係をちょっとおさらいしておきましょう。
1937年(昭和12年)、曽田香料という香料メーカーがフランスからラベンダーの種を取り寄せ、千葉、岡山、北海道で試験栽培をします。その結果、フランス特産と考えられていたラベンダーの生育に北海道が適していることがわかり、北海道で栽培が開始されます。
1948年(昭和23年)に、上富良野の上田美一氏らが、曽田香料の委託を受けてラベンダーの栽培を始めます。これが富良野のラベンダー栽培の始まりです。後にラベンダーは北海道の奨励特用作物となり、最盛期には全道で235haもの畑があったといいます。
天然香料の輸入自由化や合成香料が安価に入手できるようになると天然ラベンダーの需要は減り、1977年(昭和52年)を最後に農業作物としてラベンダー生産は終焉を迎えます。この頃、日本のラベンダー畑は富良野にしか残っていませんでした。
世の中、何が転機となるかわからないもので、1976年(昭和51年)に、ファーム富田のラベンダー畑が国鉄のカレンダーに採用されて注目を集め、観光客が訪れるようになります。ラベンダーは農作物から観光の目玉として見事に復活するのです。
ファーム富田の歩み
ファーム富田の初代は、1897年(明治30年)に中富良野に入植した富田徳馬氏。孫の忠雄氏が、前述の上田美一氏のラベンダー畑に出会い、自らの畑で栽培を開始したのが1958年(昭和33年)のことでした。この畑は現在でもトラディショナルラベンダー畑として残っています。
その後は、ラベンダー栽培の隆盛と衰退とともに歩み、ラベンダーの花とその香りを最大限に活かした農場づくりと商品開発を進めて現在に至っているのだそうです。
ファーム富田の見所
農場内の花畑はいくつかのエリアに分けられていて、それぞれ訪れる人を楽しませてくれます。
また「舎(いえ)」と呼ばれる施設も多数あって興味がつきません。代表的なところを見ていきましょう。
トラディショナルラベンダー畑
ファーム富田の原点です。国鉄のカレンダーになったのもここ。満開時には一面が紫の絨毯となります。
畑の上からはラベンダー越しに田園風景と十勝岳連峰が一望できる大パノラマが広がります。
彩りの畑
ファーム富田でいちばん有名なのはここでしょう。ラベンダーの紫、カスミソウの白、ポピーの赤とオレンジ、コマチソウのピンクなど、7色の花々がなだらかな丘に虹を描きます。
倖の畑
ファーム富田のほぼ中央にある畑です。ファーム富田では4種類のラベンダーを栽培していて、花の色が微妙に異なります。紫色のグラデーションをお楽しみください。
舎(いえ)は全部で4つ。その内の3つをご紹介します。
花人の舎
大きな三角屋根の建物です。1階はオリジナル商品を取りそろえたショップやカフェ、2階にある「富田ラベンダー資料館」ではファーム富田の歴史を知ることができます。
ドライフラワーの舎
日本最大級のドライフラワーアレンジメント展示スペースがあります。ながめて楽しむだけではなく、もちろん買い求めることもできます。
香水の舎
香水の販売だけではなく、製造工程の見学もできます。おみやげに、好みの香水で作る「香りのしおり」をどうぞ。
まとめ
ベンダーの香りと色鮮やかな花々、真っ青な空に十勝岳連峰。夏の富良野の魅力はここでしか出会えない風景です。その風景を代表するファーム富田に行ってみませんか。
ファーム富田
北海道空知郡中富良野町基線北15号 (画像は写真ACより)
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